早稲田大学など難関私大の合格者は受験日本史とどのように向き合い、勉強していたのか。 土屋文明先生の授業を中心とした日本史学習を各時期にわたり詳細に調査。 合格した先輩たちのサクナビ学習の流儀を一挙公開します!
誤った勝ち方
根拠のない解答で偶然正解を得る。
実力でもセンスでもない。
これは"誤った勝ち方"である。
"誤った勝ち方"は、努力しない受験生の前に現れた神の啓示による勝利などではない。今までの努力を消し去り、自身を決定的な敗北へと導く悪魔のカードによる見せかけの勝利である。見せかけの勝利の余韻に浸れる危険なカードは実はすべての受験生に内在し、多くの受験はこの本番では何の役にも立たない紙屑同然のカードを最強の切り札だと"誤解"している。
"誤った勝ち方"を自身の運やセンスだと思い込むようになると、系統だてた学習の継続が困難となり、結果、努力を怠り見せかけの勝利を上回る大きな敗北を迎えることになる。"誤った勝ち方"では決して最終勝者にはなれないのだ。
"正しい負け方"というものもある。これは、敗北の原因を想定しておく負け方だ。問題を見たときに「この問題はあの知識がなければできない。私はそれがないので今は解答できない。」と納得して問題を切り捨てる負け方である。こうすればその後の学習の指針も立てやすくなり、次の勝利の糧ともなる。
運は実力ではない。
勘はセンスではない。
勝者と敗者の決定的な違い。
それは常に必然の解を求める姿勢にあるのだ。
果実をつけない樹木
成長に一番必要なものは何であろうか。
勝利、成功、自信、信念
残念ながらいずれも不正解である。
成長に一番必要なものは「時間」である。個人差はあるが、成長するにはそれなりの時間がかかる。勝利や自信はそもそも成長とは何の関係もない。成長しているからこそ、その過程で勝利をおさめ、自信を深めることがあるというだけなのだ。勝利など成長過程のほんの小さなイベントのようなものである。 勝利や成功・自信などは全て成長した樹木が実らせる果実にすぎないのである。 ゆえに成長していない樹木から果実を得る方法など存在しない。
最も愚かであさましい行為とは、成長していない樹木から果実を得る方法をひたすら探し続けることである。なぜなら、この行為の結果、成長に必要な「時間」を浪費しているからである。
気がついたであろうか。
敗者が行ってきたことは、大学合格のための努力とは全く無縁の単なるムダな時間の消費行為であり、その何の役にも絶たなかった過去の時間の浪費行為を今でも価値あるものと信じて誇りにしているということを。
ごみであふれた部屋の中に住んでいては正しい価値判断など身につかず、成長などできるはずがないのである。
それでは成長に必要な時間をどのように使えばよいのか。
それは時間内にできるだけ多くの「失敗をすること」である。「間違えること」は成長への試練であり、それに耐えた濃密な一定の時間(自分の過ちを認め修正していく時間)だけが成長を促進させるのである。
しかし、人間とは過去の成功体験やプライド、過剰な自信によってなかなか失敗を認めることができない。
思い出すのだ。
成功や自信、プライドは成長した樹木の果実にすぎない。より多くの果実を実らせたければ、樹木を大きく成長させることである。樹木の成長を鈍らせるちんけな自信やプライドなど摘み取ったらすぐに捨ててしまえ。
成長する「時間」をどう使うか。
自分の生き様が今試されているのである。