HOME > 日本史の戦場とは?

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講義と生徒の入試のベクトルは一致させる

予備校は自身の学識を披露する場ではない。予備校講師である以上、入試を見据えた授業をすることは当然のことである。しかし、日本史講師は年とともに知識量が増え続け、ともすればそれを生徒の前で披露したくなるものである。一度でもそれをやってしまうと、入試に関係のない情報が授業に入り込み、一部の優秀な生徒をさらに満足させることになるかもしれないが、多くの生徒を混乱させてしまうのだ。教える側にとっては、その混乱は学問の扉をあける試練だと正当化することもできるが、成績の上がらない生徒にとっては迷惑な話である。

講義はいつしか自身を満足させるものとなり、成績があがらないのは生徒の勉強不足で、今の入試制度は間違っているという結論になっていく。講義と入試が直線でつながらず、その線上に受験生も存在しない。これでは何のために生徒の親御さんはお金を払って予備校に通わせているのかわからない。

教室には私を慕って来ている受験生だけがいるわけではない。むしろ、大学合格という目的のために私を頼りに来る受験生のほうが大勢いるのだ。それゆえ講義と生徒と入試のベクトルは常に一致させなければならない。

あらゆる学習場面を想定した講義と教材

受験生は予備校講師の指導法を信じて、1年間、講師が指示した受験勉強をするわけだから、これは自分で補ってください。であるとか、この分野はやらない (時間が無くてできない)からプリントを配ります。私は講習では「○○」という講座はうけもちません。というのでは責任ある受験指導とはいえない。後者の場合、予備校講師の「分業」はある程度は必要な場面もあろうが、それは分業される分野や項目が、より専門的な人間によって行われ、常に受験生にとってメリットのあるものである場合だけである。単なる予備校講師間のワークシェアではあってはならないはずだ。

本来、予備校講師は分業では行えない仕事に従事しているから、個々の生徒に応じた1年間の学習プランを受験生のニーズにあわせて提案できるはずである。私は、受験生のあらゆる学習状況、環境、場面を常に想定した講義をおこない、ときには自身の教材を組み合わせて生徒個々の成績を上げることのできる学習プランを提案できるようにしている。

特殊な教師

「学校の授業はつまらない」予備校に来る生徒達がよく私にこぼす愚痴である。しかし、私もかつて高校の専任教諭として教壇に立っていた人間である。生徒達の言い分もわかるが、教師が教科指導に専念できない理由が学校側の方針や教科内の複雑な事情からくるものであることを私は知っている。それに本来、高等学校には各校に教育目標が存在し、教科指導を通じて教えなければいけないことがたくさんあるのだ。それゆえ学校の教科指導と予備校の受験教科の指導(特に日本史)は異なっていて当然である。

だから私は学校の教師と自身を学校教師に不利になる項目だけで比較し、批判することで自分の授業の見栄えをよくし、生徒の支持を集めようとは考えていない。同じ教師として自分の立場をわきまえ、常に生徒に利益のある教科指導をおこなっている。

私は大学受験教育に特化した「特殊な」教師である。

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