HOME  > 日本史の戦場とは? > プロフェッショナルになるまで

受験業界で仕事をするようになって10年以上がすぎた

十数年前、私は高等学校の専任教諭として教壇に立っていた。当時はまだ熾烈な受験競争の時代。高校は大学進学を方針に掲げたばかり。高校のレベルが高くなかったこともあり、なまやさしい勉強では受かる大学もおぼつかなかった。授業は入試レベルで進んでいく。一方、それに応じられるだけの埋め戻しの学習にも時間が割かれた。毎日毎日、歴史語句のテスト、暗誦を繰り返させた。うまく暗記ができず、悔しさからか泣き出す生徒もいた。それでも生徒はついてきた。私も含めて皆その方法しか知らなかったのだ。

受験学年となったクラス。水をうったような静けさと張り詰めた緊張感。しかし、本来ならそうした空間に満足していたであろう自分が、その空間に映し出された自身の姿はおぞましく、醜かった。暗記だけを強要し、増える生徒の負担を受験生なら必ず乗り越えねばならない壁だと偽り、ドロップアウトした人間を人生の敗北者だと決めつけ周りを煽っている。生徒を向かわせる戦場には行かず、都合のいい情報だけを与えて無謀な戦いを強いている自分が教師面をして映っていた。

自分は何のリスクも負っていなかった。そう思うと反吐がでた。努力というヴェールはどんな無駄な労力をも美化する力をもっている。教師であった私はそれを絶対正義の道具として使ってしまった。

私の学校の進学率は飛躍的に向上したが、私は教師を辞めた。救い導く手段を求め予備校講師となった。殺生をした人間が仏門に入ったようなものだ。

その後、出題例や出題根拠のない語句を削り、過去問を精緻に研究し効率よく理解し学習させるにはどうしたらよいのかをつきつめた。それが反映された授業は、現在多くの生徒の支持を得ている。最後に戦うのは生徒。しかし戦う力を与えるのは私だ。ならば大学受験のリスクは講師と生徒で共有されるべきである。自分の信念となった。

予備校講師になって、迎合することなく生徒の立場で物事を考えられるようになった。あの頃より、教師らしくなったかもしれない。


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