上智大学 文学部 合格 男子
流儀 其の弐 4月編
土屋先生の日本史講座を選んだ理由
まず、代々木ゼミナールを選んだ理由は、代ゼミは拘束がなく自由な予備校だからやる気さえあれば何とかなると思ったからです。講師選びですが、浪人が決まってすぐ正しい勉強法を求め有名な日本史講師を片っ端から探り、土屋先生の日本史の戦場(文化史の克服)を受けました。土屋先生は板書が少ないと聞いたので、「日本史で板書が少ないって何だ!?」と思って興味本位で受けました。
土屋先生の授業を受けた最初の感想。最初のころのノートまとめ奮闘記
最初の感想は・・・、「なんだこのシモネタだらけで早口なおっさんは!?」って、そんな感じです(率直な感想です)。しかしとにかく早口というのは印象深いです。そののち早口の事情を知って納得して慣れてしまったんですが(笑) そして最初サクナビにチェックを入れるのが戸惑いました。赤でカッコに赤でぐるぐる巻き…正直「なんだ?このあやしい記号は」っていう感じでした(笑) 、慣れるまでは必死にサクナビを清書していました。しかし最初の頃は清書に気をとられるあまり、語句を覚える作業を当初は怠ってしまっていた、と思います。それに最初は先生のノートの使い方がよくわからず眺めているだけで・・・(笑) 自分の勉強法に自身がもてず、無駄に論述の問題集とか買った気が・・・(もちろん一回も開きませんでした) とにかく僕は先生のCDを買うまでは試行錯誤の連続でした…。
4月までの日本史学習
それまでは、早慶上智といわれる難関大学に受かる人は教科書と用語集を一字一句残さず覚えているのだ、と思っていました。僕は高3の時に文転したので明らか時間数が足りず、日本史は得意でもありませんでした。しかし、学校の授業は自分が求めているものとはかけ離れていて、教科書の太字(入試に出る出ないかかわらず)赤文字で書きほかは教科書を朗読しているような授業でした。もちろん、史料も図版も正誤もテーマ史もやらず、入試に必須な文化までほぼ飛ばされました。
4月までの日本史の成績はどうであったか
学校の成績は語句を覚えれば点が取れたので苦労はしなかったですが、模試に関しては、正誤問題とかでズタズタ、になり偏差値50前後をうろついていた気がします。文転したばかりのときは偏差値37でした(爆)
他の受験生の勉強法
周囲は市販の一問一答を覚えるだけ、覚えた数で自慢し合っていた、ので、自分はそこまで覚えていなかったのでこのままで平気なのかと不安になりました。今だから言えますが、そういう勉強方法をとっていた友達(前年度の僕も含め)早慶上智は全滅でした。また、浪人してからは周りに土屋先生の授業を受けてない人はほとんどいなかったのですが、土屋先生の受講者以外の人たちは、ひたすら板書を写したのを覚えていました。僕も何度が土屋先生以外の授業を受講したのですが、ふと思ったのはこの速さで全部の日本史情報を伝わるのかっていうのと、正誤や史料が手薄にならないかという疑問がありました。僕は当初2回だけほかの先生の授業にでましたが、すぐに行かなくなりました。