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受講生の苦痛

【誰も得をしない延長】

人により苦痛の感じ方はそれぞれである。
しかし、資格試験などの講義を受ける受講生にとっての苦痛は共通している。

それは、講師による授業の延長である。

私も予備校講師として多少の授業延長はあるが、受講生の立場となってその苦痛が想像以上に大きなものだと改めて感じた。

以前私が在籍していた予備校では、先輩の講師達から「受験の日本史は暗記科目なのだから質問や延長をしない授業をする講師がいい講師(プロ)なのだ」と戒められた。当時、駆け出しだった私はより丁寧に教えた結果が質問や延長につながるのであればそれはそれで生徒のためになりいいのではないかと内心では反発していたのである。それでも、そうした環境の中で鍛えられたせいか、講義スタイルが延長のあまりない授業構成と進行になっていった。

今回、自分自身が受験生の立場となり数十回の講義を受講してみて講義延長が苦痛以外の何者でもないことを痛感した。延長はたとえ1分でも受験生には苦痛である。

eラーニングでは1講義時間の総時間数が画面に表示されている。つまり、その講師が1講義にどのくらい延長したかがはじめからわかる。10分、20分。最長では25分の延長となった回もあった。延長時間がはじめから分かっているにもかかわらず、その延長が苦痛に感じるのかといえば、その後の時間が就寝時間までの貴重な時間を奪い取ってしまっているからに他ならない。

受験生は誰しも限られた時間の中で勉強をしている。対象となっている講義だけではなく、他教科の講義の復習や予習、演習学習やなども限られた時間で行わなければならない。そうした時間が無慈悲に削られていくのである。しかも、その延長時間は講師もあせっているのか、説明が雑となることが多くこちらで余計な復習時間をかけることになっていく。「ここは一応読んどいて下さい。」といった表現が多くなるのも延長に入った時に言われやすい。「いい講師」にありがちな負の側面でもある。

はっきり言わせてもらえば授業が下手なのである。

資格試験などの予備校は講師が自分の教えたいことを教える場所ではない。そんなことは資格を取ろうとしている多くの受講者は望んでいないのである。懇切丁寧な焦点ぼけの授業のなかで何を覚えたらよいかを受講生は理解しかねている。無論そうした者にも知の扉を開き、学問たるものが何たるかを教えてやるのも結構なことである。しかし、そうしたいのなら初講日の前から受講生に講座、講師ガイドなどで詳細にその事実を知らせるべきであろう。そしてそのサービスの対価として受講生からお金をいただくことができるのか、企業の指示や目的に反する労働の対価としてそれを行う者に報酬を払うべきなのかを企業は顧客満足度及び経営ベースで考えなければならない。

農薬を使ったサラダが入ったハンバーガーに無農薬の有機栽培サラダを入れて客に出そうとしているのではない。ハンバーガーを食べに来た客にサンドイッチを出しているのである。しかもお客を長い時間待たせた上にハンバーガーがジャンクでサンドイッチは本質だと言い張る。

ただ、講師側だけに非があるとは言えないのも事実である。受講生のレベルを考えた講座回数、講座内容、授業構成のバランスが悪いのも原因だ。要は与えられた環境を言い訳として延長という苦痛や延長しないリスクを受講生に負わせてはいけないということではないだろうか。

暗記科目という苦痛から解放する授業を行わなければならない側の人間達がかえって受講生の苦痛を大きくしてしまっていることがあることに気がつかなければならない。


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