紫式部の墓
今週は平安時代の女流作家、紫式部のお墓です。あのノーベル化学賞の田中耕一さんのいる島津製作所の敷地内にあります。
さて、授業でもふれましたがこの時代の女性の名前は家族しか知りませんので本名はわかりません。ですから紫式部の名前は、『源氏物語』に登場するパーフェクトウーマン、「紫の上」と父の藤原為時が式部丞(じょう)であったことに由来します。
父が学者であったことから幼い頃より父の蔵書を読み、才女としてその名を周囲に馳せまして、父の友人の藤原宣孝と結婚(・・・ということは親子ほど年の差が離れている)しましたが、その後宣孝とは死別。『源氏物語』はこの頃から執筆されたらしいです。
『源氏物語』の評判が高くなり、紫式部はその後一条天皇中宮彰子の家庭教師となります。彼女の日記と伝えられる『紫日記』(紫式部日記)には夜半に藤原道長からアタックを受けたり、ライバルである清少納言をぼろくそにいっているつづりがあり、日記が彼女のものであるならば、強烈な自己意識をもった女性であることが推測されます。
なお、彼女の墓の隣には平安時代の三蹟で有名な小野道風の祖父である小野篁(おののたかむら)の墓があります。小野篁というと仮病を使って遣唐使の職務を放棄して隠岐に配流となった人物ですが、この人の奇妙な伝説に、毎晩井戸に入って地獄の閻魔大王の裁判の補佐をしていたというものがあります。お前はスーパーマリオかって話ですよね。なお、この井戸は六道珍皇(ちんのう、だよ。変な風に読んじゃだめだよ)寺に現在もありますよ。篁の冥土通いの井戸と呼ばれています。メイドに通うんだったら井戸なんか使わずに地下鉄で秋葉原に行けばいいのにねぇ。