阿弖流為(アテルイ)首塚
場所:京阪電鉄 「牧野駅」徒歩7分
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さて、今週の墓は阿弖流為 (アテルイ)の首塚です。牧野公園のど真ん中に首塚があります・・・。ブランコの正面に。。。この公園、かつては片楚神社の社地で現在も片楚神社が管理と祭祀を行っているそうです。
教科書にも載っているこの人物。実は、歴史書には2回程度しか名前が出てこないのです。しかし、そのデビューがあまりに鮮烈で、また英雄坂上田村麻呂によってかばわれ、悲劇の最後をとげた人物であったと伝えられているためか、現在でも演劇などさまざまな形でとりあげられています。
阿弖流為(アテルイ)の鮮烈なデビューは、桓武朝の第1次蝦夷征伐の征東大使紀古佐美率いる5万を超える軍勢を2000にも満たない兵力で打ち破るというものでした。まあ、オリエンタルラジオ風にいえば、「アっちゃん(アテルイ)、今日も言ったげて」「ああ、聞きたいかエゾの武勇伝」ってとこでしょうかね。また、紀古佐美にしても桓武天皇に急かされなければ無謀な深追いで惨敗することはなかったでしょうね。
その後、第2次、3次蝦夷征伐で坂上田村麻呂が活躍。ついに胆沢地方を征服し鎮守府が多賀城から胆沢城へと移されました。このことは先週のお墓でお話したとおりです。たびかさなる蝦夷征伐によって蝦夷側の疲弊も相当なものであったのでしょう。ついに蝦夷の族長阿弖流為(アテルイ)と副官母礼(モレ)が500人を連れて坂上田村麻呂のもとに投降してきました。坂上田村麻呂は阿弖流為と母礼を平安京に連れ帰り、帰順した2人を東北へもどし東北平定に利用しようと2人の許しを朝廷に請いましたがかなわず、河内国で処刑されました。現在では枚方市宇山が有力地とされ、牧野公園のこの首塚はそのすぐ隣の牧野町にあるのです。
周辺地域史の見直しが進められていく中で、アテルイは朝廷に従わぬ反逆者から地方自治を死守するため朝廷に立ち向かった悲劇のレジスタンスとなっていったというわけです。