小野妹子の墓
今週のお墓は小野妹子のお墓です。はじめての人にはとてもわかりにくい場所にあります。最初に科長神社をめざすのですが。。。まずこの字が読めない(T_T)。気を取り直してそして結構細くてくねくねした道を行くのですが、迷子になりそうなこと数度。なんとかたどり着きました。科長(しなが)神社の横の少し高い丘状の場所が小野妹子のお墓です。
丘の上まで結構な段数の石段を上がっていくのでそれは立派なお墓だろうと期待したのですが。。。えっ?少し荒れちゃってない?ちゃんと管理してる?というくらいさびれた状態でした。普通ならお花を添えて写真を撮るところなのですが石台のある所には入れず、また花屋さんも近くにありそうな場所でもなかったので現状で撮影をしました。妹子さん。すみません。
さて、小野妹子は現在の滋賀県大津市小野付近を支配する小野氏の出身とされる生没年が不詳の人物です。また、この地にある唐臼山古墳も小野妹子のお墓とされています。小野妹子を一躍有名にしたのはやはり607年遣隋使の大使として隋に派遣されたことでしょうね。隋では彼を蘇因高(そいんこう)とよんでいたようです。この名前、たまに史料で見ますよね。翌年、裴世清とともに帰国しましたが、煬帝からの国書を紛失してしまうという大失態を演じてしまいます。ところがなぜか推古天皇は妹子をゆるし、裴世清帰国に際して再び隋に大使として派遣します。ホントこの時代って怪しげなにおいがします。なお最後の冠位は冠位十二階の最高位である大徳です。