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隼人(はやと)塚

場所:JR日豊本線 「隼人駅」徒歩10分

今日のお墓は鹿児島県姶良郡隼人町内山田にある隼人塚です。夕方の取材でしたのでちょっと怖かったです・・・。
隼人とは古代の日向、大隅、薩摩の地に狩猟、漁撈を中心に営んでいた人々をさし、文化的にも中央とは隔離されていたため中央政府は蝦夷同様蔑視し、征討の対象となりました。日本史の教科書では熊襲(クマソ)、隼人という表記をしていますが、熊襲が大和政権の支配下に組み込まれて隼人と呼ばれるようになったのかどうかは実のところわかってはいません。

古代国家が成立する以前から政府は隼人を支配し、同化させようとしますが、隼人はその都度抵抗し反乱は繰り返されました。奈良時代には3度わたる隼人征伐によって713年に大隅国が設置されました。これは授業でもふれましたね。しかし、720年に隼人は大隅国の国司である守陽侯史麻呂を殺害するなど最大の反乱を起こします。政府は大伴旅人を征隼人持節大将軍に任じて反乱を鎮圧しました。この時に数千人の隼人が殺害されたため、その霊を鎮めるために隼人塚が建てられたと伝承されていました。

しかし、近年の発掘調査でこの隼人塚の建造は平安後期のものとわかり、この地には正国寺があったことから現在では寺跡とする説が有力です。それに、隼人の首塚は隣の国分市にもあり、隼人を祀った神社(止上神社)もあります。じゃあ、そっちを取材しろよ!て感じですよねー。


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