どの講師でも同じなのか?
カーナビを使う旅客運送業とマニュアルで教育管理をする教育支援業
このコラムをはじめて以来、多くの保護者や教育関係者の方から直接、間接的に質問を受ける事が多くなった。そこでそうした質問で多く聞かれることを別視点も交えながら答えたいと思う。
私は予備校講師以外にもいくつかの事業を行っている関係で、以前はタクシーを頻繁に使っていた。しかし、現在ではほとんどタクシーを使って移動することはない。もちろん時間が読める電車移動のほうが合理的で安価だということもあるが、大きな理由はタクシーに乗ったときに「不快な思い」をすることが多くなったからである。
旅客運送サービスの内容とは顧客を顧客の望む場所にできる限り正確に早く(ということは最短距離で安く)移動させることである。その点ではタクシーは旅客運送業の中では最も顧客の要望に応えなければならない「顧客指定場所時間内移動サービス」を提供しているといえよう。
しかし、近年規制緩和の中でも収益を出そうと、大量のドライバーが雇用された結果、それなりの研修は受けているだろうが素人同然のドライバーに遭遇することが多くなった。素人同然とは言い過ぎかもしれないが、旅客運送サービスを上記のように定義した場合「道を知らない」という要素をもつ者は素人同然となる。交通法規にやたらと詳しいから玄人だということではない。そして、こうしたことが背景にあるのだろう。トラブルも多いと見えて、最近では乗ったあとに「まだ乗務経験が浅くこの地域は不案内なこともありますので。。。」などと言い訳がましい口上をのたまう輩まで現れた。挙げ句の果ては、「搭載されているカーナビ通りなので」である。
こうなるとサービスの内容が、「他人が運転する車で自分が希望する場所の近くまで(うまくするとその場所まで)連れて行ってくれるサービス」である。つまり、他人が運転する車に一定時間いることに対して私達はお金を払っていることになるのである。さながらお金を払うヒッチハイクといったところであろうか。ヒッチハイカーは基本的に時間という概念が無いが、仕事で移動する人間には厳格なほど「時間」が存在する。
そう。私が近年感じている違和感は、道を知らない素人同然のドライバーのそのプロフェッショナル意識の欠如だけではなく、そもそも旅客運送業において顧客に対してお金を取るサービスのその内容自体が変質しているのではないかということなのだ。
私は決して業界がドライバー育成に手を抜いていると言っているのではない。誰でも最初は素人であり経験を積んで一人前になっていくのであるから、多少の我慢はしなければならないという意見もあるだろう。しかし、それを我慢しなければいけないのは私達であろうか。素人同然のサービスしかできず、道も分からず、電車の方がはるかに早く到着できるほど時間と料金がかかるなど不快な思いをしたにもかかわらず、法律で定められた一定の金額を支払わなければいけない。(もちろん、レシートをもらい、わざわざ会社へ電話をかけて事情を説明して返金を請求すれば速やかに応じてくれるが)こんなばかなことがあっていいだろうか。
そもそもタクシードライバーが増加したのはタクシーに乗車する人間が増えたからではないのだ。規制緩和による競争の激化で低下した収益率を量で補おうとした結果おきた現象なのである。そしてサービス内容の変質を招いた。カーナビが個人の資質や能力の格差をなくすことができると信じて疑わない。何も知らない乗客だけが変質しているサービスを不快な思いをしながら受け続けている。そもそも一部のお金持ちを除いてタクシーを利用するほとんどの人間は「よほどの事情」でもない限りタクシーには乗らない。
この視点から教育支援業を考えてみると驚くほどに類似点が多い。職種別の就業者数で、近年ただ1つ教育支援業のみが増加を示している。少子化や入試多様化によって塾や予備校に通う人間が少なくなっているにもかかわらずに、である。
そして、大学受験という「よほどの事情」があるからこそ教育支援サービスに高いお金を払う。しかし、現場では素人同然の講師(指導者)のマニュアルに頼った指導が平然と行われ、顧客の学力向上や目的達成には責任を感じない。だから「ただ一定の時間、大人が子供を預かってくれるというメインサービス、おまけで受験教育付き」に保護者はお金を払っているということになる。さらに最初にドライバー(講師)を選べない点、限られた時間の無視ということも酷似している。
このコラムを読まれている保護者の方及びその大切なご子息が「不快な思い」をするかどうかは来年の2月には分かる。しかし、それは不快な思いにとどまらず必ず志望校不合格という代償を伴うのだ。
最後に旅客運送業に携わる方の名誉のために言っておこう。彼らには国が定めた学科教習と運転実習、そして一定の旅客運送業の経験などによって認められた自動車運転免許が交付されている。つまり正しいルールと車両の操作で公道を走ることはできる。一方、素人同然の講師の中には教員免許すら所持していない者もいる。つまり素人で無免許の人間に自分の子供の脳をいじられていることになるのだ。
それでもあなたは信じ続けるのであろうか。
それはいったい何を根拠にしているのだろうか。