大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)
お待たせしました!(って待ってないか。)
ワードプレスに切り替えて少し設定を調整していたました関係で今週のお墓の更新が遅れていました。
いよいよ今週から再開です!!
さあ、再開1回目のお墓は日本最大の古墳、仁徳天皇の御陵と伝えられる大仙陵古墳です。ユネスコの世界遺産登録間近ですよ。まさに再開1回目にふさわしいお墓ですね。
『古事記』『日本書紀』に第16代と伝えられている天皇です。名は大鷦鷯(おおさざき)。父は応神天皇です。『日本書紀』では応神天皇の没後、皇太子の菟道稚郎(うじのわきいらつこ)は大鷦鷯(仁徳)こそ天皇にふさわしいと即位しません。一方、大鷦鷯(仁徳)はというと、皇太子の菟道稚郎が天皇になることが応仁天皇の意志に沿うことだと皇位を継ぐことを承諾しません。
そのような皇位の譲り合いが3年も続き、皇太子の菟道稚郎はこれ以上自分が生きていては政治の空白ができ、大鷦鷯(仁徳)も皇位につけないと考え、自殺してしまいます。その亡骸を抱き、泣きながら大鷦鷯(仁徳)は即位を了承します。
互いの力を認め合ってなお、日本のためによりよい為政者とは誰なのかを考えて皇位を譲り合う。政治空白ができないようにと自殺までしてしまう。。。。ふう、事実かどうかは別として今の政治家達はこれを読んだらどのように思うのでしょうね。誰でもできる実績を花道に今の地位を降りるなんて。日本の国を治める者としてどうなのでしょうかね。
話を元にもとしましょう。聖帝としての伝承はさらにすごいのですよ。炊飯の煙が立ちのぼらないのをみた天皇が民の困窮を察して3年間租税を免除し、茨田(まんだ)の堤や横見堤の築造や開墾奨励など大阪平野開発に力を入れ、自身は質素倹約につとめ、宮中の家屋修築も行いませんでした。まさに、理想的な天皇像です。
一方、『日本書紀』には天皇が美人で名高い吉備の黒日売(くろひめ)や八田皇女を后にしようとしたところ皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)の嫉妬にあって思い悩む人間味ある人物像も描かれています。
なお、古墳が築造された5世紀初めから約1世紀の間は『宋書』倭国伝に讃・珍・済・興・武と記された倭の五王が相次いで中国に朝貢しています。仁徳天皇は讃や珍にあたるとされるなど確実ではありません。