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慶應義塾大学 経済学部合格 男子
流儀 其の四 4月編

土屋先生の日本史講座を選んだ理由

僕が代ゼミを選んだのは、友人が行くからということと、金銭面での理由でした。予備校自体どこを選んでも本人次第でどうにでもなるものだと僕は考えていて、更に住んでいる場所は三大予備校やその他多くの予備校があったのでどうしても代ゼミを選ぶしかないという状況ではありませんでした。その中で友人が行くこと、そして家庭の金銭事情に余裕が無かった事も後押しをし、減免金額が一番高かった代ゼミを選びました。特に代ゼミにこだわりがあって行くという訳ではありませんでした。

土屋先生の講座についても、最初に体験授業を受ける事もせず、ただ友人に勧められため選びました。現役時代に先生の事を知らなかったこともあり、日本史の先生選びについてはかなり悩みましたが、最終的には日本史の授業は誰がやっても変わらないという考えが僕の中にあったことと、更には友達全員が土屋先生を選んだため、僕もそれに乗っかる形で講座を選択しました。

最初の頃の授業の感想

最初の授業では、正直情報量の「少なさ」に圧倒され、本当にこの先生についていけば第一志望の慶應に受かる事が出来るのかと心配してしまうほどでした。しかし、土屋先生独自のサクナビを使った授業の展開の仕方や、大学別の知識を教える事、わかりやすさにおいては明らかにそれまで習ってきた先生方とは異なっていて、更に授業後の復習ですぐに思い出しやすかったのが印象的でした。特にサクナビに関しては無駄がなく、ビジュアル的にもすぐに頭に浮かびやすい構成で、復習の際の効率性の面で効果がてきめんだと一回目の授業の後にすぐ分かりました。

また、僕は土屋先生がオススメする、サクナビをA3に拡大コピーしてその紙に書いていました。少し大きめにコピーを取ることでスペースを気にすることなく書き込む事ができて授業中にノート作りで困ることも少なく、ビジュアル的にも結構整った感じになるので個人的には大きめにコピー取ることはかなり良かったです。
そして最初のころ、暗記するためにサクナビに書いてあることをルーズリーフに書き写す作業をしていたのでこれ以上の手間を取りたくないと思い、印刷したサクナビのプリントを清書するという作業などはしませんでした。

最初、サクナビについての復習は先生がオススメしなかった、「とにかく書く」という従来の自分の勉強法でやっていました。書かないと覚えられないという僕自身に染み付いてしまった考えに基づいており、とにかくサクナビに書いてある語句をひたすらルーズリーフに書くことを繰り返し、時間も労力も掛かる大変な作業をしていました。更に、先述した情報量の少なさを考慮して自分で辞書を引いて余分な情報を加えてしまいました。しかし、土屋先生が授業中に、「日本史に時間を掛けるなら英語に掛けろ」という言葉を繰り返し言っていたことが頭に残り、一回目のセンター模試までは先生の言う通り、サクナビを授業の録音を聞きながら、授業の内容に沿ってひたすら黙読し続けることにしました。そこでやっと覚えるために書く事がどれだけ無駄な労力かがわかり、とにかく反復し続けるという先生が勧める勉強法に変えることができました。

ただ、このように授業を録音を通して復習する場合、僕は録音器具がiPhoneだったので途中で始めたり、早送りすることが出来なかったので既に覚えてしまった範囲をもう一度やったり間違えて進めてしまうなどの時間ロスが意外と多かったのでした。なので、録音ができるアプリをゲットするか、しっかりしたボイスレコーダーを買っておいたほうが効率良く復習できるのでボイスレコーダーを買っておくことをオススメします(笑)

4月までの日本史学習

現役時代、日本史は得意科目のつもりでした。山川の日本史用語集の出題頻度1や2の語句まで教えられ、早慶の日本史はこの出題頻度の語句をどれだけ覚えられるかが勝負になると当時の先生から言われました。そのため早慶に受かるためには分厚いこの用語集を丸暗記しなければならないのかと考えてしまい、ひたすら語句暗記に終始して、まるで英単語暗記の様な勉強法をしていました。また、この勉強法が正しいと思わされた原因が周囲の人達や学校の日本史にもありました。

周囲の人達に関しては、勉強法を尋ねると、誰もが用語集をとにかく暗記しただとか、教科書を読み込むといったような根気の要る作業ばかりを勧めてきたので、自分自身も当時の勉強法が間違っていないのだと考えてしまい、暗記こそが日本史勉強の中で一番なのだと勘違いしてしまいました。

また、学校の日本史は一応、原始から江戸初期、ペリー来航から現代までと、ある程度の範囲はカバーしていたものの、偏差値があまり高くないためなのか非常に内容の薄い、受験とは程遠いレベルの日本史が展開されていました。しかしそれが逆に情報量の少なさに対する危惧を増幅させてしまいました。語句の少なさは情報量の少なさにつながり、「情報量の少なさは暗記科目の日本史では致命傷」という風に当時の暗記主義者の僕は考えてしまい、やはり語句暗記作業に従事させてしまう結果を招いてしまっていました。

受験科目として日本史は高2から学習していましたが、学校の授業では到底受験レベルまで持っていく事は出来ないとすぐに分かっていたので、高2の秋から予備校に通っていました。自分自身の日本史勉強は、そこの予備校のテキスト中心に勉強をしていました。テキストの復習をしながら山川の日本史用語集を片手に、頻度1、2の単語までとにかく全部暗記するという気持ちで勉強を行い、一つの単元が終わったら日本史標準問題精講という問題集を使ってその単元の問題を解くという作業を繰り返していました。割合で言えば暗記作業のインプットが8割、問題を解くアウトプットが2割くらいです。

更に、毎回模試を受けた後に出て来た新しい情報はその都度ノートに足し、またそれを書きながら暗記するという作業を行っていました。しかし、思うように成績が上がらなかったたのです。

そのため結構勉強法にはブレがあり、一問一答に終始していた時期や、とにかく問題集を解くという時期もありました。浪人が決まってからは春期講習は取らず、代ゼミの1学期が開講するまではとにかくその予備校のテキストを反復して参考書も現役時代に使っていた山川の資料集、日本史標準問題精講を使って勉強していました。

4月までの日本史の成績はどうであったか

現役時代の日本史の偏差値は60程度でした。学校のテストは予備校の勉強をしていれば満点は取れる程度だったのであまり勉強はせずに、楽に点を取っていました。ただ、模試では日本史に掛けている時間の割にあまり点を取れて居ないなという印象を毎回持っていましたが、それでも暗記作業という事に疑念を持つ事は無く、勉強法は変えずに毎回テストを受けていました。

他の受験生の勉強法

周りの人は最後まで、僕の現役時代の考えと同様の、用語集全てを暗記するという事を常々口にしていました。また、土屋先生は、受験生の弱点である文化史も通史の中でやるので関連性が高く覚えやすかったため、僕は逆に武器にさえできたのですが、他の予備校に通う友達は皆、講習で文化史を取っており、流れを無視したカリキュラムを前にして苦手を克服できていない印象でした。

また日本史史料に関しても、土屋先生は口酸っぱくその都度見るようにと釘を刺していたため、毎回目を通すようにしていたので弱点にはなりませんでしたが、土屋先生の授業を取っていなかった他の人は史料が苦手と言っていました。勉強法を聞くと、面倒くさいから通史を終えたらまとめてやっているとの答えを貰い、土屋先生が絶対にやるなと言っていた日本史史料の勉強法をしていました。


土屋文明プロフィール

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