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青い鳥は幸せの象徴ではない

メーテルリンクが伝えたかったこと

メーテルリンクをご存じであろうか。受験生を子供にもつ保護者の方なら多くの方はご存じかもしれない。戯曲『青い鳥』の作者であり、ノーベル文学賞も受賞しているベルギーの詩人であり随筆家でもある。

代表作『青い鳥』のあらすじは貧しい家に生まれた主人公がおばあさんに頼まれて様々な世界に幸せの青い鳥を探しにいくというもの。彼らは行く先々で 青い鳥を捕まえるが、この世界にもどってくると違う色になっていたり、死んでしまったりする。結局家の鳥かごの中にいる鳥が青い鳥だったのだが、その鳥も どこかへ飛んでしまう。幸せは案外身近なところにあるという解釈で語られている。

私はこの解釈にはいささか抵抗がある。幸せが身近なところにあるということを示唆したいのなら最後に青い鳥は逃げないはずである。ではこの戯曲の意味するところは何であろうか。

個人的なことであるが、私は今の受験生の年齢の頃、両親を亡くし一人で生活をしていた。借地に建つ築50年以上経っている壊れかけた家にみじめに暮 らしていた。育英会の奨学金とバイト代が生活の生命線で、バブルの絶頂に浮かれていた社会や金持ち自慢にふける輩を妬み、自分の置かれた環境を呪ったもの だ。しかし、当時「生きる」という選択肢しかなかった私はその時期をもがき苦しみながらもなんとか生き続けた。

その時にふと思ったことがある。

「今の貧しく、みじめな環境を劇的に変えることはできない。ならばこの与えられた環境のなかで懸命に生きていくしかないのだ。」と。

決して現状を変えることを諦めたのではない。自分に与えられた環境(=目の前にある現実)を受け止めて生きていこうと思ったのである。そして、その考えに至ったとき自分の心の中のわだかまりがふっと無くなったような気がした。

そう、気がつくと自分の家にいた青い鳥が飛んでいってしまったように。

青い鳥は幸福の象徴などではない、同世界で生きる人間と自分との違いが分からず、自分を卑下し他人の幸せを妬む「心のわだかまり」なのである。過去 の世界の思い出に浸っても、未来の世界に逃げ込もうとしても心のわだかまりは醜く濁るだけである。青い鳥を捕まえても色が変わったり、死んだりすることは それを示唆するものだ。目の前にある現実を受け止めなければ恨みや憎しみで心がむしばまれるだけである。決して前に進むことはできない。

この戯曲はどのような世界にも青い鳥がいると書いてある。つまり、人と人とが交わる世が存在している限り、時間と共に人の心のわだかまりは常に湧きあがり続けるのである。現実を受け止めながら生きていくことの大切さがここからわかる。

戯曲の最後はどうなっていただろうか。いなくなってしまった青い鳥。主人公はこう叫ぶ。

「誰か青い鳥を探して下さい。私達には青い鳥が必要なのです。」

この作品が戯曲であるなら、最後の言葉は我々に投げかけられている言葉である。つまり、私達自身も青い鳥を探して(つまり心のわだかまりに気づい て)、それを抱いてしまう人間の愚かさを知れと言いたかったのではないだろうか。時間とともに生まれた新たな心のわだかまりに自分を見失う主人公の姿とと もに。

大変困難な時代に生まれ、不本意な人生を送っていると感じている人へ。
あなたが今どのような環境にいるのかは私には分からない。厳しい経済状況の中、決して恵まれた環境に身をおいていない人も多いと思う。家庭環境が激変し、悔しい思いをしている人もいるはずだ。

しかし、私にはこれだけは言える。

どのような環境であれ、それはこの時期あなたに偶然割り振られ与えられた環境であり、決して瞬時に変えることはできない。だからその環境下にいる自分を受け入れ、わだかまりを捨てて今自分にできることに目を向け力を尽くしてほしい。

青い鳥など永遠に見えないほうがいいのだ。

より人間的な生き方をしたいのならば。


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