日本史の戦場
論述問題模範解答

p79 一橋大学
攻略ポイントに生糸のアメリカ市場向け、綿花輸入関税撤廃を加え文章化する

p88 大阪大学
攻略ポイントを文章化する

p94 大阪大学
欧米諸国がアジア市場から撤退したことをうけて日本の綿製品が、またアメリカには生糸などの輸出が激増し貿易は大幅な輸出超過となり日本は債権国に転じた。海運業、造船業は活況を呈し船成金も生まれ、鉄鋼業も大きく発展した。工業の発展により工業生産額は農業生産額を上回り、工業労働者数も増加した。しかし、終戦とともに欧米各国が市場に復帰すると国際競争力をもたない日本は恐慌に転じた。

p95 筑波大学
明治天皇暗殺計画を機に無政府主義者が処刑された。1911年に大逆事件以後社会運動は「冬の時代」をむかえた。この間、労働運動の進展に応じて政府は最初の労働者保護立法である工場法を1911年に公布したが、内容に不十分な点が多かった。ロシア革命の影響や米価高騰とシベリア出兵を機に富山県で発生した米騒動の全国的広がりなど民衆運動の高まりに促されて社会運動は1920年の戦後恐慌以来さかんとなった。鈴木文治らにより1912年に労資協調による労働者の地位向上をめざして結成された友愛会は1921年には日本労働総同盟へと発展し、階級闘争を強調し労働争議を指導した。翌年には部落解放を主体的に進めようと全国水平社や農民運動の中心となる日本農民組合が結成されるなど社会運動が高揚した。

p98 一橋大学
攻略ポイントを文章化する。最後に、「しかし、統帥権干犯問題などが軍部からおこるなど、政党内閣による協調外交の継続が困難となった。」を加えておきましょう。

p114 中央大学
1920年代のあいつぐ恐慌に対し、政府は紙幣増発で対応した結果慢性的なインフレーションとなり経済は低迷していた。浜口内閣の蔵相井上準之助は輸出増進による景気回復をはかるため緊縮財政による物価引下げと金解禁による為替の安定、経済界の整理をおこなった。しかし、アメリカからはじまる世界恐慌と旧平価での金解禁の影響で日本は昭和恐慌となった。政府は重要産業統制法を制定し、産業界の救済をはかったが、金解禁は継続されたので不況は続いた。(犬養内閣の高橋是清は金輸出再禁止と低為替政策をおこない、赤字公債を発行して財政膨張政策を行った。)

p115 一橋大学
日本は金本位制から離脱し、管理通貨制度に移行した。産業界は円安を利用しての輸出拡大に加え、赤字公債発行による軍事費、時局匡救費を中心とする財政膨張政策で活気づき日本は他国に先がけて恐慌から脱出した。産業界でもとくに重化学工業が発達し、産業構造が軽工業中心から重化学工業中心へと変化した。