初学者向けの講座を除き、予備校や塾における日本史の講習の講座は、通常のレギュラー授業で「おわらせることのできない」箇所を補うものではありません。通常、予備校や塾のパンフレットには通年の日本史のカリキュラムでは受験に必要なすべての分野をどのように指導するか明確に記載してあります。入塾などの説明会の時に配布されたシラバスには、それらはより詳細に記載され、経営者(経営者の法人)は保護者にその履行を約束することで契約が成立しているわけですから、経営者はその後、所属する講師が保護者に約束した内容(カリキュラムやシラバス)がきちんと履行されているかどうかを管理、監督する義務があります。
しかしながら、残念なことに一部の予備校や塾ではその約束は毎年反故にされ、講習という名の「遅延回復授業」が公然と行なわれています。受験生が通年の日本史講座を受講しているのであれば、講習は教授により習得した知識を前提とした学力向上のためのプログラムが提供されるべきものであるはずです。決して担当講師の指導力不足のため「終わらせることのできなかった」箇所を補うものではありませんし、そのために受験生や保護者の方が余計なお金と時間を追加する必要はないはずです。
教育サービスは提供するものが「モノ」ではありませんので理解しにくいかもしれません。そこで、少し分かりやすい事例で説明してみましょう。
あなたが高級フレンチのお店に行き、一品一品の料理が記載されたコースメニューを見て値段の高いコース料理を注文した(事前にお金まで支払った)のに、その中の何品かは提供されず、シェフが来て「○○と○○は時間がなくて料理できませんでした。つきましては1週間後用意しますので、あらためてお店に来てお金を払って食べに来て下さい。」
こんなことが公然と行なわれている店にあなたは行くでしょうか?
問題なのは、お客がメニューに記載された内容(提供される料理)を確認して料金を支払ったにもかかわらず、その一部が履行されていないだけではありません。
その履行に再び金品を要求されていることです。
考えてみて下さい。教育サービスでは、指導力不足で欠落した箇所が生じれば、「受験生」=ご子息に受験リスクが生じます。そして、その結果生じた受験生の不安をさらに利用して遅延回復授業の受講が「講習」として強要されているのです。保護者の方はこれでも、ご子息に行なわれているそうした指導を甘受し、指導を黙認している塾・予備校の行為を見過ごすのでしょうか。
上記事例は、「遅延回復授業」を公然と行なう指導者のもうひとつの言い訳を簡単に論破できてしまいます。シェフはこう言い放ちます。「私が調理した料理は完璧でおいしいものだ。だから○○と○○は時間がなくて料理できなかった。つきましては1週間後用意しますので、あらためてお店に来てお金を払って食べに来て下さい。」
こんな勘違いシェフは日本には一人もいないのですが、信じられないことに教育支援業界には大勢いるのです。お客にとっては出される料理(提供される教育内容)はおいしく完璧(受験に対応できる内容とその指導)であることなど「当たり前」のことです。また、完璧であるかどうかの基準はシェフの一生懸命さや調理方法の正確さ(それも主観的なもの)ではなく、一定時間内に約束された内容がすべて履行されるかどうかなのです。
お分かりになりましたでしょうか?
信頼に足る講師を選ぶ労力を惜しむと、「遅延回復授業」が様々な名前の講座となり余計な費用と時間を負担することになります。そして、これらは決していい結果を受験生やその保護者にもたらすことはないでしょう。
講習という名の「遅延回復授業」にご注意下さい。
土屋文明