2019年の大学入学試験が終わった。今回の受験では実力を十分に発揮できた受験生も多くいたであろう。一方、思ったほど点数が伸びなかった受験もいたはずだ。
ここで今回の受験を、特に十分な実力を発揮できなかった受験生は振り返ってほしい。今回の入試に関しておかしな事に気がついていないだろうか。
それは、志望校の大学入試問題の過去問では数年度にわたり高得点だったにもかかわらず、本番の入試ではさっぱり点数がとれなかったということである。
これは、偶然今年の入試問題の傾向や難易度が極端に変化したためにおきたことであろうか。自分は本当は本番に弱く(18、19歳になるまで一度も気づかなかった?)、本番のプレッシャーに負けて「その試験だけ」実力を発揮できなかったのであろうか。
自分の敗因を、予期できない状況の変化や精神面の弱さに帰結してはいけない。もっと根源的なことに目を向けてみるのだ。
根源的なこと―
暗記科目に関していえば、あなたが教えられた(学習してきた)ことは「大学入試問題の過去問の答え」だったという可能性を疑ってみることである。私は受験期間中サイトを通じて何度も警告した。以下に「過去問はいつから解けばいいのか」の文章を引用する。
【注意して欲しいのは、早稲田大学や慶應義塾大学などの最難関の大学入試問題がすいすい解けてしまうといった場面に出くわしてしまったときです。このような大学は正誤や初見史料問題など形式問題によって難易度を高くしている大学です。このような大学の入試問題が暗記した語句だけで解けてしまうというのであれば、指導者によって「もともとその過去問の答えを事前に教えてもらっていた」可能性があります。ある種自信はつきますが、本番の入試問題が解けるようになったわけではありません。】
もちろん、「過去問の答え=歴史語句」なわけだからそれらは教えて当然ではないかという批判もあろう。しかし、その批判は的外れである。過去問の答えがいつも歴史語句となるわけではない。難関私大においてしばしば過去問の答えは歴史語句を用いて解答するものとなることが多いからである。私が問題提起しているのは、正誤や史料問題など、本来は解答ルートから解答を導きださなければいけない問題を、事前に関連語句だけを教えることで簡単に答えを誘導できるような指導をしたのではないかという点である。残念なことであるが、そうした指導を確信犯的に行う指導者も存在している。そして、その指導はどのような結果をあなたやあなたのご子息にもたらしたのであろうか。
保護者の方におかれては、ご子息の努力や能力の不足だけをとがめるのではなく、ご子息の外部環境を含めた受験指導に関しての総括をされることをお願いしたい。
本来、塾(予備校)とは何を行うべき場所なのか。塾(予備校)講師とは本来何を教えるべき存在なのか。かけがいのない自分の子供をあずけるに足る能力と資質を備えた講師を選択、変更できるのであろうか。教育支援業サイトによくある子供の笑顔にだまされてはいけない。本来、難関校を突破したときに見せる笑顔こそが塾(予備校)がその役割を果たしたことを証明できるものである。
さて、過去問の答えだけを教えてもらう指導は受験生に最悪の結果をもたらしてしまうことが多い。その理由を説明する前に「過去問はいつから解けばいいのか」にある別の箇所を読んでいただきたい。
【最後に、過去問の検証作業では「解けないと分る過程」も大変重要です。解けなきゃ意味がないよ、と思われる受験生の方もいるかと思いますが、検証作業の「過程」が難問を解く「手段」となるわけですから、その手段をもってしても解けない問題は「できなくてもいい問題」となります。試験時間は60分です。その時間で40問~70問近い問題を解答するわけですから、瞬時にできなくてもいい問題を峻別する能力も必要となります。できなくてもいい問題を「捨てる」ことで、他の問題を正確に解答できる「十分な時間」を手に入れることができます。試験中はこうした「解答不能問題」と「時間」のトレードがおこなえなければならないのです。】
お分かりであろうか。過去問の答えだけを教えてもらうと、「解答不能問題」と「時間」のトレードがおこなえず(過去問が解けてしまうので検証作業が行えないからである)、解答不能問題にこだわった結果、総得点で他の受験生に及ばない。そして、「解けないと分る過程」も解答ルート構築に必要な学習作業であるにもかかわらず、自分の指導を正当化するために(自分の教えた語句で過去問が解けるとアピールしたいために)、検証作業をやらなくてもいいような誤解を指導者が受験生に与えたことで最悪の結果がもたらされたのである。
日本史講師 土屋文明