不安の終点

人は皆、罪の上に生きている。

裁かれざるものを含めれば罪無き人間は存在しない。

罪は人間の皮膚にまとわりつく空気のように常に存在する。

その罪を意識できるか否かで人と獣は区別される。

罪は、原罪を除けば絶対的、相対的に存在し、その価値や質量を変化させている。

そしてある一定の価値や質量をともなった時、人はそれを罪として意識できる。

不安とは人が罪を意識する過程である。

不安はその終点である罪を償わなければ解消しない。

今、受験生における不安の終点は不作為による罪である。

その罪の意識は、学習行為が基準に満たないものであったためか、基準を満たしつつもさらに為すべき事を貪欲に求めたかに分けられる。

前者は、大学不合格という、もはやいかなる行為によっても変えることのできない現実をともない、1年間の強制学習という形で罪を償う。しかし、不安は無くなることはない。

後者は、大学の合格という最良の結果を招来させる可能性を示唆し、期間内のさらなる学習行為の積み増しによりその罪を償う。結果にともない不安も無くなる。

今、あなたが不安を抱いているのであれば、それは未だその罪が償いきれていないと感じているからである。


では何をすべきかはもうお分かりであろう。

 

                                      日本史講師 土屋文明